【チベせん(チベットサポート仙台)】

 仙台など東北地方を起点に、チベットに関心を持つ有志が2008年4月、チベット問題を考え、何か行動しようと集まったグループです。20〜40代の社会人が中心で、チベットを旅行したことがある人、ネパールやインドでチベット難民の知り合いができた人、チベット仏教に関心がある人、ダライラマ法王が好きな人、この年3月のニュースでチベットに関心を持った人、ただなんとなくチベットにあこがれる人――など、きっかけはさまざま。ゆるく(でもたまに真面目に)チベットを考えています。
 チベットが好きな人、チベットに関心のある人、随時大歓迎です。コンタクトお待ちしています。


チベせん

 ひとことで言えば「東北にもっとチベットを!」
 チベット問題は単なる政治問題ではないと思っています。人が人らしく生きるための尊厳の問題であり、民族の自律とは何か、文化の尊重とはどういうことかが問われる人権問題でもあります。ヒマラヤ地域の開発のあり方を考える環境問題、開発問題、経済問題でもあります。
 チベットの歴史を知れば、「東洋史イコール中国の歴史」ではないアジアの流れが見えてきます。チベットの文化を知り、同じ黒い髪と黒い目の人たちが何を慈しみ何を大切にしているかを感じるとき、もののみかた、感じかたの違いに世界が広がり、根底に流れて共通するものに人間の温かさを受け止めることができます。
 チベせんは、チベットの文化や歴史、人々の暮らしを知り、彼らの訴えを知り、そこで何が起こっているかを知り、何ができるかを考え、行動につなげていく触媒となる活動を目指します。東北地方でチベットに関心を持つ人、チベットについて知りたい人の「入り口」になり、知って自分で考え、チベットのために行動する人の「場」となり、東北地方のチベット人と日本人が交流の輪を広げる「広場」を目指します。

これから企画したい活動
■チベットに関するセミナーの開催
・チベット人や識者を招いた講演会
・チベット仏教入門講座
・チベット語入門講座
■チベット問題を訴える活動
・映画上映会
・写真展開催
などなど

チベせん

 かつて、チベットという言葉は「日本のチベット」などの言い回しで、山間地にあって交通が不便な場所、中央から遠く離れた辺鄙な場所の例えに使われてきました。東北はその筆頭で「日本のチベット東北」「岩手は『日本のチベット』」などと言われたこともあります。
 しかし、実際のチベットは、単に地形が険しく、交通が不便なだけの場所ではありません。
 そこには、ポタラ宮殿をはじめとする荘厳で美しい石積みの建築技術が発展し、インドから伝わり体系的に発展した仏教哲学が栄え、周辺から多くの留学生を受け入れ、数百人から数千人の僧侶が学問にいそしむ巨大な学問寺院が数百も存在する高度な文化都市がありました。だからこそ明治時代、河口慧海や多田等観はチベットを目指したのです。

 河口慧海は青森で最晩年を過ごし湯野川温泉で没しました。チベットから持ち帰った史料のほとんどは東北大学に保存されています。多田等観は秋田出身で、研究資料は岩手県花巻市に遺されました。日本のチベット研究の先駆者たちの貴重な文化的遺産は、東北に集約されているのです。
 「東北にもっとチベットを!」


チベせん

 2008年3月、チベット本土で中国政府への抗議活動が激化し、武力制圧に至ったことが大きく報じられました。日本国内でも集会やデモ、殺害された人たちを悼むキャンドルイベントなどが相次いで開かれ、3月22日の中国大使館前デモには2000人を超える人たちが集まりました。同じ日、「仙台在住です」という1通のメールがインターネットに流れました。
  メール発信元は現チベせん代表。長年ネパールのチベット難民と親交厚く、2008年1月には13年ぶりにラサを再訪、変貌ぶりに驚いたばかりで、わずかその数カ月後に現地で起きた事態に強い衝撃を受け、行動を呼び掛けたのでした。
  1週間後、メーリングリストやブログのコメント欄で知り合った、仙台在住の4人がネパール料理を囲んで初顔合わせ。「チベせん」(のモト)はこうして誕生しました。

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